「死ぬのは怖くない、ということはないけど、自分を生きます」そう私に話してくれた後藤健二さんから学んだこと

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お久しぶりです。うつ状態が結構回復してきたちぃやんです。
この件についてはショックすぎましたが、心がだいぶ落ち着いてきたので、記事にします。

 

後藤健二さんの最後の姿の映像と、写真を見ました。

とても残念で、全身がものすごく重く硬くなりました。

泣きました。どれだけ痛かっただろう。

何度も何度も、後藤さんの最後の姿が脳裏に浮かびます。

 

今回のことは、一度お会いしてお話したことがある後藤さんだけに、
とても考えさせられました・・・。
 
後藤さんは、イスラム国(過激派組織ISIS)の方々を
攻撃しようとして飛び込んでいったわけじゃないから、

後藤さんとイスラム国の方々が、少しでも理解し合うという奇跡が起こって、
開放してくれたらうれしいと、私は思っていました。

でもそれは私からの視点です。
 
湯川さんが殺されたのを知り、
毎日、後藤さんを思い出すたびにお祈りをしていました。

「後藤さんにも、イスラム国の方々にも、
 魂の視点から見て一番ベストなことが起こりますように」

 
後藤さんが死なないで無事に帰って来ることは、私から見たら一番いいように思えます。
でも後藤さん本人としてはそうじゃないかもしれない。

命をかけて、もしかしたら今回、自分がやりたいと思ったことを貫き通せたことは、
もしかしたら後藤さんにとっては一番良かったのかもしれない。

それは本人に聞いてみないとわかりません。

 

「湯川はるなさんを、必ず助け出す!」と信じて飛び立った後藤さん。
数日で帰って来る短期救出予定だったのだから、
こんなに大勢の人を巻き込むニュースになるなんて思っていなかったと思います。

後藤さん本人は、巻き込んだ人に対して一生後悔しながら生きるなら、
潔く死ぬことが本望だと思ったかもしれません。

後藤さんなら、ありえるなと思いながら。
でもそれは、わかりません。

 
私の人生を「自分主体に」変えるきっかけをくれた、
ひろみさんというヒーラーの方の友達のはるちゃんの友達が後藤さんでした。

お友達だからということで、ご親切にも少人数のお話会を開いてくれたことがありました。
2007年12月22日のことです。

そこで私は後藤さんに直接質問したことがあるんです。

 

「ジャーナリストという仕事は、時には命の危険もあると思うんです。
 後藤さんは、怖くないんですか?」

 

とても怖がりで臆病者な私が、
勇気ある後藤さんのお話を聞いて、
素直に思ったことを聞きました。

周りのみんなも、後藤さんも、少し笑っていたような気がします。

 

「怖くないということはないけど、それでも自分のやりたいことをやります」

 

って言ってくれたと記憶しています(私は記憶力低いので完全なる記憶ではありませんが)

 

すげえ。
強いな。
すごい。本当にすごい。
使命ある人は強い。

 

これが自分を貫くということかと、私も勇気をもらいました。

すっごくかっこよかったです。

 

湯川遥菜さんのことは、よく知らなかったのでブログを拝見しました。

自分のちんこを切り落として自殺未遂したことがあること、
(100万円かけて手術して一命はとりとめたようです)

「自分は1人だったら死んでもかまわない」ということを書いてたので、
私には、自分を生きるのを大きく放棄したい人に見えました。
 
シリアの危険地域に1度つかまりながらもまた入ったのは、
薬を売ったら喜ばれたから、ということもネットで見ました。

このことが事実なら、
自分の安全、周りの人のことも配慮して本当に健全に生きることよりも、
目先の自分にとっての利益や欲をとったように見えます。

後藤さんと比べ、信念とか想いよりも、
他人に喜ばれることで孤独な自分を満たしたい、
という大きな欲があったのかもしれません。

 

「僕は孤独だ。」と湯川さんのブログには書いてありました。

自分は孤独だし、存在価値がないから(死にたいから)人に喜ばれることで
やっと自分が存在していると自分で認められるという感じだったのかもしれません。

 

それは、私たちの言う、他人主体の生き方です。

 

自分の信念を貫く三浦の生き方は後藤さんタイプですが、
(でも三浦は自分が後藤さんだったら湯川さんは助けに行かないと言ってました)
私には、2人の気持ち、信念と欲がどちらも内側にあります。

だから、すごく考えさせられました。
 
湯川さんも、こんな大きなことになるなんて思っていなかったと思います。

湯川さんのブログには、1人だけなら飛び込んで死んでもいいと書いてありましたが、
結果的には後藤さんを道ずれにしているわけです。
 

自分が自立してしっかり生きることは、シンプルなことだけどとても難しくて、
どんなに大切で、どんなに責任を果たすということなのかと感じました。

 

後藤さんも、うわさによると外務省から、
シリアの危険地域にいくのを3回ほど警告されてとめられているようです。

それを無視してまで大切な仲間を助けたかったということですよね。
自分が死ぬ可能性があっても人を助けたいという気持ちが、
私は本質的には自分と似ているなと思いました。

 

私は自分が犠牲になっても母を助けたい、笑顔にしたいと、ずっと思って生きてきました。
父がいなくなって、一番悲しいのは母なんだから。もう絶対に悲しませないと決めました。
 
でもそれは自分の心の投影も大きかったのだと気づいたのは、20年ぐらいたってからでした。

その間は、どんなに自分がつらくても、それを言わずに1人で抱え込み、
元気なふりをして、悲しませないように我慢してしまいました。

 

私は体はこうして生きていますが、そうすることで、
自分の精神がこれでもかというほどに死にました。
 
私は三浦と出会ったときもそうですが、
イノシシのように、目標を決めたらつっこむタイプですから、
自分の生きている意味がすべて、大切な人を笑わせること、幸せにすることでした。

それは、自分がやりたいからやっている、と思っていたのですが、
途中からいろいろなマインドに翻弄されて、
純粋な部分がかき消されていってしまったのです。

母にはいつも否定され、怒られてましたから、
目標がまったく達成された感じがしなくて、
生きる希望も、自分の存在価値を自分で感じられることも、何もかもなくなりました。

自分なんて、生きていても意味がない、いてもいなくても同じだ。
そんなふうに、ずっとずっと小さいころから思い続けてきました。

 

私は、ただ笑いあいたかっただけで、でもそれすらも達成できない。
大切な人1人を笑わせられない。
だったら私はいてもいなくても同じなんだと。

一見もっともらしい目標に、完全に依存していました。

その強い未練や執着から、
三浦のようにプロセスを楽しめない、結果がすべての人間になっていったのです。

その傾向は今でもあります。
そのマインドがあるから、私は人に心が開くのがとても難しいのです。
でもそれは少しずつ着実にゆるんでいます。

 

後藤さんと私は、体か心かの違いで。

「自分を犠牲にしても、相手を助けてあげたい。」
「自分が思ったことを、貫き通したい。」というのは、
行き過ぎると、自分を本当に殺すんだなと。

形は全然違うけど、本質的に自分と同じ部分も大きいのではないかと思って見ていました。

 

自分が犠牲になっても、人を助けたいというのは、
本当にすばらしいことのように表面的には見えます。

でも私は母親を、本当の意味で尊重していなかったことに気づいたのです。

母の怒っている姿や、悲しんでる姿を、これ以上見たくなかった。
だから無理にでも笑わせようとしていたのですね。

母は、怒っていても、否定的でも、不安を抱えながら
1人で必死に生きていたということに気づきました。
 
私は、母や他人を喜ばせるために、自分という存在を無視し、気持ちを無視してきました。
そこに本当の自分は生きていませんでした。

お互いに、お互いのダメな姿を見たくなくて、
私は母に「笑顔」を、母は私に、「世間に馬鹿にされないような立派な人間になること」を、
押し付けていました。
 
でも人間は、1人1人生きるテーマがある。やりたいことも違う。

お互いを信頼すること、尊重することが、
お互いにできなかったんだと痛感しています。

 

もしかしたら後藤さんも、湯川さんの選択を、
深いところでは尊重してなかったということなのかもしれないなとも思いました。

自分がやってあげなくちゃ相手はだめなんだと。
それは、私にも、私の母にも共通していた信念、マインドです。

湯川さんは、一回捕らえられたのを後藤さんによって解放されているので、
また今度もやってあげなくちゃ、俺がいなくちゃだめなんだって、
強く思うところがあったのかもしれません。

それか、湯川さんが自分のせいで殺されてしまうと、強く思っていたのでしょうか。
自分でその現実を受け止めるのが怖くて、それなら自分が行く、となったのでしょうか。
 

私は、母は自分のせいで不幸になってしまっているんだと思っていました。

そして、母を幸せにするまでは、私は幸せになってはいけないと、
自分にマインドの制限をかけていたのです。

 
湯川さんが一度開放された後、
後藤さんはもういっちゃだめだよ、と湯川さんのことを止めているわけで、
それでも湯川さんは絶対に入っちゃいけないところに入っているわけだから、
それはどう考えても湯川さんの自己責任なわけです。
もう、捕まった怖さもわかっていると思いますし。
 

自分と相手の境界線がわからなくなってしまう、
そういう人は日本には多いと思うんですね。

相手を大きな視点で尊重・信頼することは、とても難しいです。
特に仲間の死が関わってくるのなら、翻弄されてしまってもまったくおかしくありません。
 
後藤さんはお人よしすぎたんです。
でも、そんな後藤さんも、私は好きなんですけどね。

お世話になったガイドさんにも止められたけど行ってしまった後藤さん。
今までの、精神が死ぬとわかっていてもイノシシのようにつっこむ私と似てる気がして、
他人事とは思えなく、やはり考えさせられますね。

 

自分が殺される可能性は、自己責任の範囲って考えてたと思います。
でも、自分の存在が、こんなに大きな騒動になるとは思ってなかったと思うので。

たくさんの人に支えられている自分っていう存在は、
1人だけのものじゃなくて大きいんだな・・・と、
自分を大切にすることの大事さを思い知りました。
 
後藤さんとつながると、
みんなに支えられているということの大きさを知った、
と感謝をしている感じが見えました。意外でした。
 
でも。それでも、私の今のマインドのフィルターを通してみると、
無念で残酷で、理不尽に死んでいったように見える部分が大きすぎて。
とてもとてもショックなのです。

 

私は自分が精神が死んでいることで、自分を愛してくれる人の存在すらも
無視してしまう1人ぼっちのマインドをもっていることで、
どれだけ人を悲しませることになるのか、
連鎖が起きてしまうのかということを痛感しています。
 
私には、他人主体で生きてきた、強い恨みがあります。
怒りがあります。
悲しみがあります。
 
私は恐怖がいっぱいの、弱い人間です。
 
頭では人間の醜い部分を許せても、
自分の心に刻まれた自分の恐怖と繰り返しの体験が大きすぎて、
それに支配され、翻弄されている自分もいるのです。
 
だから、イスラムの過激派組織ISISの人たちですら、他人事に思えません。

 

もし私の生まれた国や、環境が違っていたら。

そして自分には価値があると尊重できず、
自分で自分の人生を変える力があるということも、全く信じられなかったのなら。

怒りや悲しみや恨みから他人を攻撃したくてしょうがなかったのなら。

自分からISISに入るかもしれない。
私なら入る可能性はあるだろうなと思います。

 

私は、幸いにも日本に生まれ、お金と時間をかけて
今までの憎しみ、怒り、悲しみを解放していく機会も与えてもらいました。
 
今まで許せない気持ちから、自分は特別な人間になろうとしていた。
自己責任なんて、とんでもない。
母が、環境が、私をこんなにしたと思っていた。
本当は一番愛したい人なのに、殺したいほどの憎しみがあった。

 

でもそれと何年も真剣に向き合ってきたから、
本当の自分を生きていくと決めたんです。

 

私はやっぱり、ただ楽しく、自由に笑っていたい。
それが大切な人とできたらいいな。
 
求めているものは、とてもシンプルなんです。
 
でもそれは、他人主体ではなく、自分主体で生きてこそ、それが達成できるんだと知ったんです。
やり方が違ったんですね。
 
きっとISISの人も、どんな人でも、魂では愛を知っているんです。
でも自分のエゴを守ろうとするマインドの力が本当に強いと、シンプルにできないんです。

私はマインドに縛られすぎて、恐怖や不安が強くて、
頭ではわかってるけどできないということを嫌というほど体験してきました。
今でも、毎日そうです。
 
等身大の自分を認めるのは、とても怖いけど。
自分の人生を、自分の本当の気持ちを、魂からの声を尊重して、
信頼していこうと意識することで、マインドはゆるんでいきます。

 
せっかく生まれたのだから。
今までと真逆に、思いっきり本当の自分になっていくと決意しています。

 

いっぱいいっぱい考えてみて、わかったことは。

やっぱりどう考えても、自分を本当の意味で大切にして、
主体的に生きることって、自分だけのことじゃなくて、
周りにもかなりの良い影響を自然に与えるよなあと。

1人1人が人のために我慢するマインドで生きていくのではなく、

自分の本来の力を思い出して、
本来の、本当の自分で主体的に生きることが、
結果的に世界の平和につながると私は本気で思っていて。

1人の存在は小さいかもしれないけど、
それほどに大きな結果をもたらす大切なことなんだと思っています。

 

後藤さんは私にそれを命で教えてくれたような気がするんです。
光の面からも、闇の面からも、「自分を生きろ」と。

後藤さんが亡くなったことは本当にとてもショックです。。。

とても悲しいです。本当にすごく悲しいです。
だからこそ、自分の学びにして生きていきます。

 



最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

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神様にテキトーに聞いた、2人の役割

ちぃやん
1.みんなを楽にすること
2.正直な生き方を伝えること
3.人と人を調和させること
4.神の考えを伝えること
5.霊を癒やすこと
6.神の存在を伝えること

三浦
1.楽しむこと
2.協力しあうこと
3.愛すること
4.自分を楽にすること
5.今を生きること
6.固定観念を超える人を増やすこと

だそうです。
本当にそうなのかはわかりませんが、
できたらいいね。(テキトーw)

どんな自分もあなたも、尊重します。

三浦とちぃやんは、みんなで今に正直に、
自由に生きられたら最高だと思っています。

だから私達と一緒の時は、
感情にフタをしなくて大丈夫です。

あなた自身の気持ちを見つめてください。
一緒に自分に正直に生きていきましょう。

「今」に抵抗するあらゆるマインドを超えて、
自由な人生を、共に歩んでいきませんか。

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